集 合:午前9時(受付午前8時30分より)中原平和公園(東急線元住吉駅7分)
解 散:午後1時30分頃武蔵中原駅前(JR南武線)
コース:中原平和公園→川崎市平和館(見学)→日枝神社(参拝)→多摩川河川敷→丸子橋下(トイレ)→中原街道→西明寺(参拝)→妙泉寺(参拝)→等々力緑地(昼食)→泉渾寺(参拝)→中原街道→旧中原村役場跡→武蔵中原駅前

川崎市平和館
 川崎市平和館は、「市民の平和に対する理解を深めるとともに、平和を希求する市民相互の交流及び平和活動を推進し、もって平和都市の創造と恒久平和の実現に寄与するために設置する。」(川崎市平和館条例第1条)のもとに、設置運営されています。

日枝神社
西暦809年に滋賀県大津市坂本日吉大社の御分霊を奉じ、此の丸子の地に宮造りして御鎮座とある。徳川三代将軍家光の寛永19年8月17日より、御朱印20石を賜わっていた。大正7年には村内の八幡社・天神社・大六天社・熊野社・神明社・諏訪社・杉山社が合祀された。尚、境内社(稲荷社、大鷲社)がある。

妙泉寺
徳川家康や秀忠が鷹狩りなどで江戸と地方を行き来するために利用した中原街道の休憩地として、小泉次大夫(ニケ領用水の工事を実施した代官)により1600年頃に建立された。当初は次大夫が帰依していた安房国小湊(千葉県)の妙本寺から住職・日純を招いたが、その後川崎区に本堂を移したため無住職に。その跡地には碑が建てられていたが、大正時代、信徒や参詣者らにより日蓮を祀った祖師堂が改めて建立された。
中原村役場跡
旧中原村役場があったのは、小杉十字路から泉沢寺を越えて、武蔵中原方面に200mほど進んだところでした。現在、中原街道の歩道にガイドパネルが立てられています。

集 合:午前9時(受付午前8時30分より)溝の口駅デッキ広場(JR南武・東急田園都市線)
解 散:午後1時頃登戸駅(JR南武・小田急線)(一次解散 8㌔宿河原駅JR南武線)
コース:久本3丁目公園→④明王院(参拝)→諏訪神社(通過)→二子橋下(トイレ)→久地ふれあい公園(地入れ)→③龍巌寺(参拝)→川崎市緑化センター(昼食)→宿河原橋(一次解散8㌔)→多摩川→ニケ領せせらぎ館→登戸駅
2月の例会では降雪為、参加者も37名少なく、第四番札所の明王院への参拝を中止しておりましたが、今回のウォーキングで復活し再チャレンジとしてコースに載せました、それに合わせて、2月で参拝しました、二番札所の身代わり不動尊捺印も特別行う事にしました、今回は二番札所、三番札所、四番札所の捺印を実施します。(8月10日の例会で会長より発表)

明王院
明王院の正確な創建時期はわかっていませんが、古くから川崎の地にあったとされ、慶長年間(1596-1615)には良識という僧が再建、寛文8年(1668)頃には寺号圓能院から院号明王院と通称されるようになったと伝えられています。

本尊は不動明王で、武相不動尊二十八所の第四番目の霊場です。
神奈川県下で最も古い人工用水路である二ケ領用水の工事に協力した小黒左近の墓もあります。

龍巌寺
龍厳寺の創建年代等は不詳ながら、深大寺六十七世宣海が中興開山したといいます。当寺の福禄大黒天像は傳教大師の作で希有な古式の像だといいます。多摩川三十三ヶ所観音霊場15番、準西国稲毛三十三観世音霊場20番、武相不動尊霊場3番です。

福禄大黒天
当山に安置されています大黒天像は日本最古の尊像であり、既に新編武蔵風土記稿には傳教大師作と誌されています。昭和二十七年八月川崎市教育委員会に於て調査の結果、大黒天像としては希有の古式像であることが確認されました。檜の白木を材として鎧を着し、左手に宝棒を持ち右手には小袋をさげ持ち、臼を台座とした半迦像でどっしりとした重味を厳粛な感を以て人に迫る品格を備えております。この像を収めた厨子の背面には、この大黒天は傳教大師一刀三礼の尊像で、日光山学頭修学院亮宣僧正が護持していたのを、その弟子の深大寺六十七世宣海が承けて護持し、更に龍厳寺王宣慶(宣海の弟子らしい)が承けて龍厳寺に安置したことが寛保元年六月吉日の日付を以て宣慶自ら墨書しています。(境内掲示より)

8月10日(土)真夏の緑道散歩       10㌔ 集合 中川駅前広場

集合:午前9時(受付午前8時30分より)中川駅前広場(市営地下鉄ブルーライン)
解散:午前11時40分頃センター南駅(市営地下鉄ブルー&グリーン)昼食時間設定無し
コース:せせらぎのみち→牛久保公園→徳生公園(トイレ)→なつみかん公園→清林寺(参拝)→新勝田橋→関家住宅表門→茅ヶ崎公園→大原みねみち公園→ささぶねの道→葛ケ谷公園→御影橋→ささぶねの道→渋沢橋→センター南駅前

中川は花と緑の街から出発です。くさぶえの道から、せせらぎの音も静かななつみかん公園迄は木影道。これより日なたの上り坂の頂点は、名前は涼しげの清林寺で一息ついて、階段を降り新・旧の中原街道を通り、国指定の重要文化財の関家住宅の表門(個人所有敷地で現在も所有者が住んでおり、公開日しか、入れません)を見て、郷の関橋を潜り茅ヶ崎公園に向かいます。
公園の木影で汗を拭いみねの道を経由して、ささぶねのみちを下り渋沢橋からゴールの駅です。
頑張らず半日を歩いてみてはいかがでしょうか。午前中のウォークです。

====== 関家住宅 メモ ======

江戸時代には代々名主を勤めており、現在の当主は22代目である。
主屋は桁行10間、梁間5間の茅葺き屋根の平屋建てです。後北条家(小田原の北条氏)に仕えた地侍であったと伝えられますが、現在の主屋はそれよりも時代が下るものであるが、東日本では最古級の民家である。主屋、書院(十畳二間ある茅葺き屋根の平屋建て、1700年代前半の建築)、長屋門(1800年代中頃の建築、明治24年(1891年)に2階建てに改築)と敷地が国指定重要文化財になっている。敷地内には墳墓地や土蔵がある。